バーチャルyoutuberではないがそれに近いことをやっている、ということを意識して活動しているので、例えば人気のバーチャルyoutuberの何かしらの状況を見て羨ましさを感じることがある。しかしその数十秒後ぐらいには別に私はそのような場所を目指していないことに気が付く。なりたくもないものを見て羨ましさを感じるということは、本来私がやりたいこととは何か別種の価値観を頭の中で組み立てかけているということであり、つまり軸がブレる前兆なので気を引き締めていきたい。
やりたいことはいくつか存在する。ちゃんとした何らかのレビューをこのブログにアップロードしたいし、メールインタビューなんかもしてみたい。もっともこれらはあくまで願望である。カセットをリリースしたいという願望もあるが、これはちょっと難しいうえにかなりゆるく敷いている目標なので別に成就しなくてもいい。
まあ、こうやって並べてみると完全に内向きの消極的かつ小規模な願望しかない。しかも実現につながる行動は今のところ全然していない。
例えば有名になるとか、大枠のそういう目標は殆ど無い。大体そうした目標を本気で持っているならば今の活動にはほぼ意味が無いので、「自分の声を聴くのが嫌だ」なんて個人的な感情には目をつむり、トラッキングしやすいスマートフォン用アプリを入手してVR環境がないなりに動画を作る、など具体的な行動を起こしているだろう。
むしろ人気にはなりたくないとさえ思う。精神的な部分で過度な負担がかかることが目に見えているからだ。コンセプト通り「高橋知秋」は「自分」という人間の総体の一部に過ぎないので、「自分」がダウンした場合「高橋知秋」だけを独り歩きさせることができない。私を生かすことが難しくなるようなことは出来る限り避けたい。
今は文章や画像や音楽等を発信しているが、正直そこに別に評価は付いてこなくていいとも思っている。twitterで繰り返し言及しているように、発表する以上ちょっとは誰かに見て欲しいな、とは思うし、もうちょっと見る人が増えたらいいな、とは思うが、それは50人から100人ぐらいでいいとも思う。
そうなると、今の私の捻くれた活動形態で十数人のフォロー数が集まり、なおかつフォローして頂いた人たちとある程度のやり取りを交わすことが出来ていること自体奇跡的なんじゃないだろうか。そう考えると、今の私に起こっている状況とそこに参加してくれた人たちを大事にする以外にはやるべきことは無いと思う。コミュニケーションをもうちょっとちゃんと交わすことを考えた方が良い、ということになるだろうか。
本当はそうした人たちの作品の知名度など上げられたらよいのだけれど、この捻くれたスタンスで活動する以上、私の伝播力が広がることは難しいだろう。でもリツイートやFavなどは積極的にしていきたい。無力だと分かっていても、だ。