クリスマスはゆるく体調を崩して横になっていた。毎年クリスマスはとても楽しみにしていたのだが、クリスマス前に別の用事を入れてそこでテンションが上がりきってしまったり、高橋知秋以外のところでやることがあって若干バタバタしていたり、先ほども書いたように体調を少し崩したりで結局何も楽しくなかった。そもそもクリスマスごときで浮かれるような年齢ではないという話かもしれないが、実際のところ年齢は関係なく浮かれていいと思う。結局のところ、twitterで何度も呟いた、浮かれる理由が無いという言葉が全てだ。残念ながら楽しむことには理由がいる。
本来クリスマスとは宗教的な行事だ。私は子供の頃キリスト教系の幼稚園に通っていたので、クリスマスは時間をかけて念入りに祝われた。だからいまだに恋愛の要素が色濃いイベントとしてクリスマスが消費されていることには違和感を覚える。だいたいにおいて恋人同士とはクリスマスなどなくても楽しめる関係性ではないだろうか。…よく考えたら私自身がこの疑問の答えを前の段落で書いていることに気付いてしまった。結局のところ、「楽しむことには理由がいる」のだ。誰もがクリスマスだから、という理由を求めているのだ。そしてそれはカップルに限ったことではない。
これは人間の本質的な性質かもしれないが、なぜか我々はイベントごとに弱い。限定品という言葉に弱いし、今日限りという言葉にも弱い(私はかなり弱いし、故に限定数十本のカセットテープなどを買ってよく散財する)。もちろん平成最後という言葉にも。
平成最後という言葉を聞き飽きて久しい。平成最後のクリスマスとしては何とも腑抜けた過ごし方だったような気がしないでもないが、実際のところ私の人生とはあまり関係ないので、どのように過ごそうが平成最後もクソもない。しかし私は平成世代(そんな世代があるのかは知らないが、便宜上そう記述させていただく)なので、年号が変わるという体験をしたことがない。だから私は年号が変わることによって私たちの精神にどのような影響があるのかということに非常に興味がある。来年のクリスマスはどういうものになるのだろう。