音楽作品に対する「今作の根底にあるのは何か」「今作の核を成す要素は何か」という問いは、例えば音楽雑誌のインタビューなどで多用される文言である。しかし今作に同じような問いが投げかけられたとして、私はなんと言えばいいのだろうか。
今作の根底にある要素は複合的なものであり、一つの言葉だけで表現できるものではない。
先ず意識していたのは、現代に於けるオリジナリティとは何か、ということ。
今作は様々な音楽からの影響をあまり濾過せずに出力している。もちろんダイレクトな剽窃、つまり「ただのパクり」にならないようには気を付けたつもりだけど、人に依ってはそう感じる瞬間もあるかもしれない。
そもそも「ただのパクり」とそれ以外の境界線はどこにあるのか、ということにもなる。
2024年の現在、改めて認識すべきことは「オリジナリティ」とはそもそも先人の築いたものと無意識のうちの影響とその人自身の資質が交錯した末に生み出された複合材料であるという事実だ。その事実を知ってか知らずか、どちらにせよ純粋な「オリジナリティ」の存在を無邪気に信仰するのは非常に危ういと昨今の様々なトレンドを見聞きする度に強く思う。今作にはその回答としての「割と影響元が分かりやすいアルバム」という立ち位置が確かにある。
もう一つ意識したのは、シューゲイザーの文脈を多く取り入れること。これは『Nice』の制作時よりも強く意識した。そのため今作はかなりざらっとした音作りになっている。
最後の「高度地区」だけはその文脈から外れた楽曲にしようと思っていたのだけれど、結局最終的にはシューゲイザーの文法を取り入れたアレンジになったので、今作は全曲で何かしらシューゲイザーやその周辺のジャンルの感覚を意識した曲作りが行われたことになる。
そして今作を覆っているのは、暗い空気である。
これに関してはたまたまそうなった、としか言いようがなく、私自身どうしてこうなったのかわからない部分が多い。今作と比べれば、『Nice』は割とキャッチーでエモーショナルなアルバムだったのだな、とすら思う。とにかく重苦しい。
これに関しては、もう私がそういう精神状態だったとしか言いようがないのかもしれない。あるいはその責を世の中とやらに被せることも可能かもしれない。
ただ、それは後付けの理由に過ぎないと思う。結果としてこうなっただけなので。
かのように、今作に対しての簡潔な説明はアルバムが完成した今も出来ないでいる。1曲ずつなら説明できることはもっと多いが(またそのうち全曲解説記事を上げるでしょう)。
もしかしたらもう少し過去のものとして捉えることが出来たときにそれは可能になるのかもしれないが、少なくとも現時点では「この三つの要素がアルバムの重要な部分を占めている」というところで打ち止めにしたいと思う。
それでも今作を象徴する一つのことばを探すのであれば、それはタイトルの『Snarl』だろう。これは唸りと怒鳴りのアルバム、と言えるかもしれない。
…文章に区切りを付けるにはこれでいいのかもしれないが、本音の部分で言えばこれもやはりしっくりは来ていないのだけれども。
高橋知秋