2021年1月4日月曜日

kiroku_to_kioku_no_kaisetsu

 今作の製作の契機は、昨年末に家族からのプレゼントとしてレコーダー付きカセットプレイヤーを買って貰ったこと。電気店の片隅にあったそれは小さなマイクとマイク端子が付いたシンプルなものだったが、試しにそのマイクやマイク端子を使って録音をしてみたところ、結構とんでもない音が録れた。

 こうしたものを入手するとすぐ使いたくなるのが私の性分である。カセットに録音をして遊んでいるうちに、すぐにコンセプトが組み上がった。非音楽的な行為を録音することを、音楽として提示すること。フィールドレコーディングにはずっと興味があったので、その思想を少し極端に押し出してみることにした。元々の高橋知秋の音楽作品のコンセプトのひとつに「退屈を恐れない」というものがあったのだけれど、それをさらに過激に結実させようという気持ちもちょっとあった。更にA面を2020年の録音に、B面を2021年の録音にしよう、というのもすぐに思い付いた。使用したのは20分テープ。そうした実験を30分もやるのは流石に荷が重いぞ、という気持ちもあったので。

 …が、A面の録音を始めてすぐ、さすがに非音楽的行為の録音だけで持たせるのは大変だということが分かった。いくら退屈を恐れないと言っても、さすがにこれだけだと何が何だか分からなくなる。そこでB面、つまり2021年サイドは「音楽的な何か」を録音することにした。

 そして年明け。私は部屋に置いてあるギターを使うことにした。コードを押さえる練習や、かつてtwitter上で音声投稿の形態で公開したギターを用いたどうとも言えないよく分からない行為(実際「B2」はtwitterに投稿したものが原型になっている)を録音の形で残すことにした。年が変わったことによって少し意識が変わった感覚も表現できれば…というのはまあちょっと、後付け臭いけど。そしてその殆どを正月中に録音した。

 聴いていて楽しい作品ではないかもしれないし、人によってはとても苦痛だと思う。だけれども、私が「高橋知秋」の名前の許に公開する作品は、誰かを楽しませるとか、ひょっとしたら私自身が楽しくなるとか(少なくとも私自身は今のところ高橋知秋としての音楽作品の製作を楽しんでいるけれども、そのうちそれも切り捨てられていくかもしれない)、そうした価値観では組み立てられていないということを改めて表明するための作品だと思う。

 当初タイトルは日本語で「記録と記憶」になる構想があった。しかしローマ字で書き出したときに、「kiroku」からrの一文字を抜くだけで「kioku」になることに気付いた。あとから思えば「記録」と「記憶」も一字違いなのだけれど、それよりも一文字を抜いただけで意味合いが変わってしまう「kiroku」と「kioku」を並べる方が、このタイトルのコンセプトに合致する気がしたので、ローマ字の方を採用した。

2021年、年初
高橋知秋