2020年11月28日土曜日

新しい歌

 Elselさんと友人さんが毎週末に必ずやっている配信番組「深夜だから壁を食っても許される」、通称「かべゆる」の半年記念凸待ち回に参加させていただいた。

 今までVRChatであるとか、一部の(私が仲が良いと一方的に思っている)フォロワーに向けた非常にクローズドな場所でやった配信とか、そうしたクローズドな場所では音声を介したコミュニケーションを取ったことはあるが、本当にオープンな場所で人と一緒に喋るのはこれが初めてのことだった。
 開始前は年甲斐も無く異様に緊張して、少し逃げ出したくもなった。本当に緊張していたのか、配信番組の開始直前ぐらいの記憶が一部欠落している。

 その結果はアーカイブで確認して欲しい。 

 私は声に自信がない。そうしたクローズドな場で行ってきた配信のアーカイブを聞き返すことで「高橋知秋」としての活動を始めた当初よりは自分の声に対する抵抗感はだいぶ減少した。なにせアカウント作った当時は自らの声を聴くと精神が混乱して脳の動きがストップする状態に陥っていて、それでVtuberを諦めたのだから、冷静に聞き返せるようになっただけとても大きな進歩だ。

 それでも相変わらず、なんだかぼやけた声だと思うし、活舌だって悪いからちゃんと意識してはきはきと喋らなければいけない、それでも依然として活舌は悪い。自分自身の声に肯定的なものを見出せない。
 それにあのようなアバターを作ったことに対して、自分の声質は与えられた「映像」に合っていないのではないかという懸念がいつもあるし、それを解消できないままに今日まで過ごしてきた。だからオープンな場ではちゃんと喋ったことはなかった。
 このアーカイブを聴いていても、本当に気持ち悪い笑い方をしているなと思うし、気が抜けて活舌が悪くなっている個所があるし、音量調整も雑だし、客観的に見ても完璧ではなかったのは確かだと思う。それにこのアバターにこの声が合っているのか、やはり今でもわからない。
 それに私がここでお二人と話した内容は、非常にふざけたくだらないものだったかもしれない。というか、本当にふざけた、くだらない内容であることは確かだと思う。

 それでも、私が登場した瞬間コメント欄に割と強い反応が幾つかあり、それを見た瞬間「やるべきことが出来たんだな」という感触があったこと、そして何より本当に楽しかったことが、私の主観の中に残った精神的な事実だった。

 今回のメンツはElselさんと友人さんを取り巻く様々な状況で偶発的に決まったものだ。だけど、こうした放送をするという上で非常に優れたバランスが成り立ったと思うし、それはこの配信番組を半年継続してきた結果として生まれた状況だと思う。その中に参加できたことが、とても嬉しい。

 私が二回目の凸が終わった直後に「自らの醜態で配信が終わる重圧に耐えられない」という旨をコメント欄でユーモア交じりに書いたら、当初は参加予定がなかったツーナミさんが配信に参加してくれたこと(立ち絵がないことからもわかる通り、彼が凸待ち用のサーバーに加入したのは本当に出演の直前だったのです)、そして比喩でも誇張表現でもなく、ほんとうに笑いが止まらなくなる素晴らしい内容で配信を締めくくってくれたことは、とても印象に残っている。

 本来、こんな改まった文章を書くことじゃないかもしれないけど。
 ただ、いつも私は「かべゆるは心の支え」だなんて言っているが、実際のところ私にも日常とか、事情とか、感情とかが色々あって、それ故にその言葉がジョークでも比喩でもなかった瞬間は何度もあった。
 初回を寝落ちで見逃したことを棚上げしていたとか、いつもコメント欄を荒らしていてごめんなさいとか(いや、あれは本心で、私がコメントを連投するせいで「目立つ席に陣取っていて店に入り辛い空気を醸し出している常連」になっていないか私はとても不安なんだけれども)、そうした「禊を済ませる」反省の態度で誤魔化していたけれども、昨晩の私がお二人に本当に伝えたかったことは、もしかしたらそれかもしれない。

冬の日の曇り空を
見上げると死にたくなる
居心地の悪い世界で
一日中考えてた
きみのことを考えてた
きみのことを考えてた

きみにこんど逢う日のために
ぼくは新しい歌を作ろう

 (Pizzicato Five 「新しい歌」 作詞:小西康陽)

 本当にありがとうございました。放送開始から半年継続、おめでとうございます。改めて、今後ともよろしくお願いします。