2018年10月6日土曜日

第三秩序

 高校卒業後進路の決まっていなかった私は、しばらくのあいだ地元を離れずぶらぶらしていた。その間、なにもしないのもアレだろう、という理由で国体道路沿いにあったスーパーでバイトをしていた。いわゆる全国展開のチェーン店ではなく、地元に住んでいた人が立ち上げた個人商店が時代の移り変わりのなかで徐々にスーパーの形式に変わったもので、確か私が働いていた時の店長は三代目だったと思う。

 店長はとても親切な、人の良いおじさんだった。彼は毎月24日(何故か25日じゃなかった)の給料日に、給料とともに必ず野菜をぱんぱんに詰めたレジ袋を一つくれる。これには私よりも家族が喜んだ。上機嫌な母親に冗談交じりで「あんたあそこでずっと働きなさいよ」等と言われ、当時からすでに地元を離れるつもりだった私は(冗談だとはわかっていても)答えに窮した記憶がある。上司にあたる人物はそういった面倒見のいい大らかな人だったし、客も多すぎず少なすぎずでハードワークになることもなく、シフトも長過ぎず短過ぎずでちょうど良い。そういえば残業がほとんど無かったような気がする。今思えば、ずーっとぬるま湯に浸かっているような労働環境だった。地方の個人商店ならではの状況だったんだろう。
 問題は一緒に働いていた、和賀井という男だった。所謂「地方のヤンキー」ノリの割とどうしようもない奴である。ワックスで固めた茶髪にB-BOY崩れのだらしない服装という見た目もさることながら、高校生のはずなのにいつ会っても微妙に煙草の匂いがする、休憩時間に一緒に話してみるとこの前友達と公園でビール飲んでたんですけど~なんてことをナチュラルに悪気なく言う、学校が授業中のはずの平日の昼間にも平気でシフトが入っている、そんな人間だった。バイクに乗って通勤してきていたが、今思えばあれも校則違反なのではないか?そんな人間でも接客は普通にできるのだから世の中はよく分からない。それどころか客が高齢者だと体を気遣って店の出口まで荷物を持って送っていくのだから本当にわからない。所謂「根は良いやつ」という事なのかもしれない。いくら根が良くても素行が悪ければあまり意味がないような気がするけど。そんなこんなでなにか害があるわけでも嫌いあっていたわけでもなく、寧ろ私に対して気さくに話しかけてくれるのだが、生きている環境が違いすぎて、どうにもコミュニケーションを取る上で一種の厳しさを感じる人間だった。

 ある日、休憩時間にテーブルの上に用意してあった小さなバウムクーヘン(休憩時間になると、バックヤードに置かれているテーブルにいつも数種のお菓子が用意されていた)を食べながらぼーっとしていると、和賀井が話しかけてくる。
「高橋さん」
「なんすか」
 バイトに入った順番も彼のほうが後だし、実際の年齢も私のほうが余裕で年上なのだが、何となくあいまいな敬語で会話をしていた。心理的な距離が埋まるとも思えない人とタメ口で話すのはとても難しい。これは今でも変わってない。
「三丁目の廃墟の噂、知ってます?」
「噂…廃屋があることは知ってますけど、噂って何ですか?」

 バイト先に程近い住宅街、少し奥まった場所に一軒の廃屋があった。少し大きめの庭付きの家。しかし私が物心付いた時には既に建物はボロボロで遠目にも一部が腐り落ちているのがわかる、庭は雑草が伸び放題、と誰も管理する者がいないのが一目でわかる状態になっていた。なんでもだいぶ前には人が住んでいたらしいが、何故そこに住む人がいなくなってしまったのか、そして何故ずっと取り壊されずに残っていたのか、そこについてはよく知らない。

 私が廃屋の映像を脳裏に浮かべているあいだに、和賀井は「先輩から聞いたんですけど」という前置きの後にこんな話をし始めた。

 あの廃屋に住んでいたのは倹約家の男で、決して大金が動くような仕事をしていたわけでも無いにもかかわらず、持ち前の節約癖でエグい額の資産を持っていた。その資産の殆どは税金対策のために様々なモノに変えられて管理されていたという。絵画、金塊、そして宝石。その中でも世が世ならば博物館に所蔵されていたと言われるレベルのダイヤモンドは、あらゆるタイプの盗難を防ぐため、家の壁の中に埋め込まれるという特殊な手法で管理されていた。
 その後、理由は不明だが男は家を離れることになった。しかし男は独り身で、さらにその良く言えば「倹約家」、悪く言えば「ケチ」な性格が災いして親族からかなりの勢いで嫌われており、故に親族・親戚からのサポートも受けられなかったという。結果的に家は管理者を失い放置され、しかし名義だけは残っているため行政が処分することもできず、今のような廃屋になった…。

 話を聞き終わった私は思わず和賀井に聞き返す。
「えっ、その人がなんで家を離れたかは不明なんですか?」
「なんか色々言われているみたいですけどね。病気とかなんとか」

 肝心で、かつ一番理由を考えるのに苦労しそうな部分が曖昧にぼかされているなんて何とも都合が良い話だな、と思った。それ以前に激しく嘘くさい。経過に無理がありすぎる気がする。親族と断絶しているのに名義だけ残ってて処分できないとかありえるのか?逆に所有者やその名義が消失したので解体できなくなった、というのならまだわかるのだが…こんな荒唐無稽な話を和賀井は異様にシリアスな表情で語るので途中何度か笑いそうになったのだが、どうやら本当にこの話を頭から信じ込んで真面目に話しているらしい、ということが分かった時点で笑う気も失せてしまった。
 こんな雑な話を自らも信じて話したのか、それとも嘘だと分かっていて吹き込んだのかは知る由も無いが、どっちにしろ”先輩”とやらは随分と性根の悪い人間なんだろう。

「それで、この話、なんか気付くことありません?」
「へ?」
「そのヤバいダイヤモンド、壁の中に入ったままらしいんですよ」
 …ああ、そういうこと?
「だから今度掘り出してみようと思って」
 思わず手に持っていたバウムクーヘンを取り落としそうになった。何言ってるんだこいつは。そんな話を信じて不法侵入とかシャレにならない。おいバカやめろ、と言いたい気持ちを抑えつつ、
「いや、そういうのやめたほうがいいんじゃないですか?」
 と言ってみたものの、
「あそこ近所の不良の溜まり場になってるんで大丈夫ですよ!俺もよく行ってますし」
 と訳の分からない答えが返ってきた。何が大丈夫なんだろうか。というか既に大丈夫じゃなかった。こいつはもしかしたら「大丈夫」という言葉の意味をよく把握していない可能性がある。
「だから今度、いつも溜まっている奴ら全員で頑張って壁掘ってみて、もしダイヤが出てきたらどっかに売って山分けしようと思ってるんですよ。高橋さんも来ません?」
「絶対行きません」

 その会話から数日後、バイト先に行くと何故か私一人しかいなかった。和賀井も同じシフトのはずだったのだが…まあ彼は過去に何度かシフトをバックレることがあったので、その日もまあそういうことなんだろうと思い、その日は来客も少なかったので普通に私と店長と店長の奥様の三人で店を回した。
 ところが、何日経っても和賀井はバイトに来ることはなかった。
 彼は不真面目な人間だったが、ここまで長期に亘って無断欠勤をしたことはない。この事態には流石に店長も首を傾げた。私は自らシフトの増量を提案した。そのままの状態でついに二週間が経ち、私と奥様の負担もそこそこのものになってきたので、店頭に求人広告が数枚張られることとなった。やがて無口な大学生の女の子と人当たりのいい20代の男性がバイトに入ってきた。

 当然と言えば当然だが、私はあの日和賀井から聞いた話がずっと引っかかっていた。内容が内容だし、それに私が和賀井とちゃんとした会話を交わしたのはあれが最後なのだ。あの時バックヤードには私と和賀井しかいなかったので、廃墟の壁を掘ろうとしていたことは私と和賀井がつるんでいる仲間たちしか知らないはずだし。
 誰かに話して相談してみようかと思ったが、よく考えたら家族でも何でもない私が和賀井にそこまでするのも癪な気がして、それに一緒につるんでる奴らの友達とかもこの話は知ってただろうし、というふうに自らの頭の中にありきたりな逃げ道を作り、ああいった会話を交わしたことを誰にも言わずに、あるいは言えずにいた。そういえば和賀井と一緒に壁を掘った人たちはどうなったんだろう?

 やり過ごせると言えばやり過ごせる、しかし気になるといえば気になる、そんな微妙な状態が一か月近く続き、ある日のバイト終わり、遂に「気になる」の方が上回ったので、退勤後に例の廃屋に立ち寄ってみることにした。

 灯が点り始めている住宅街の中に、突然暗い雰囲気の草むらが現れる。すこし遠くに見える家は以前見た時よりも荒れ具合が進行しているように見える。あの中に入ると思うとなかなかぞっとしない気分ではあったが、自分で決めたことなので仕方ない。異様な雰囲気に圧倒されないように、気を強く持って草を分け入る。
 背の高い草をかき分けながら進む。やがて「立ち入り禁止」の札がかけられた鎖にぶち当たったので、それを跨いでそのまま先に進む。いい歳して何やってるんだ、という気持ちになるが、なるべく我に返らないようにして先に進むと、急に草地が開けた。目の前にある家を見上げる。今にも崩れそうな家は、秋の夕空の下で少しオレンジ色に染まっていた。見ようによってはロマンチックな風景なのかもしれないが、どちらかといえば不気味さが勝っているように思う。写真に撮ったらちょっと幻想的に見えるかもしれない。

 玄関のドアは”先客”によって破壊されており、玄関前の階段の横に転がっていた。誰でもウェルカム状態だな~、などと思ったが、周囲の状況が不気味なので口に出す気もなれない。覚悟を決めて中に入る。
 家の中も荒れ果てている。壁にはスプレーやマジックで書かれた落書きがいくつもあり、床には缶コーヒーや缶ビールの空き缶がいくつも転がっている。また自然の方もこの廃屋の環境に対して配慮する気はないらしく、木製の仕切りや扉は大抵腐り落ちていて、壁や床のそこかしこには黴が広がっている。この家には二階もあったのだが、そこに上る階段は完全に崩れ落ちており、上がることは実質不可能となっていた。頑張れば登れそうな気もしたけれど、そこまで身を挺するつもりもない。
 中に人がいるかもしれない、と警戒していたのだけれど、ひとけは一切ない。それどころか生物の気配がない。周りを見渡してみるが、壁に虫が止まっているということもない。というか、この廃墟の中には一匹も虫がいない。これは少し異様に感じた。こういう廃墟には大抵なにかの虫が湧いていたりするものではないか?前に好奇心で見た心霊スポット巡りをしている人のブログ、ある記事で訪れた廃屋の壁に大きな蜘蛛がへばりついている写真が唐突に挿入されており、蜘蛛が嫌いな私はかなり面食らったものだが。下手したらこの敷地の中で生物といえる存在は外に生えている草木と黴、そして今ここにいる私だけかもしれない。

 廊下を歩いているうちに、一般人の家にしてはかなり広い部屋に出た。壁一面がとても大きな窓になっていて、夕日が部屋の中に入り込んでいるので妙に明るい。昔テレビ番組で見た大物歌手の家にこんな部屋があったような気がする。あの噂が本当かどうかは別として、この家の主が結構なリッチマンであったことはどうやら事実のようだ。部屋の真ん中に大きなソファが備え付けられているのを見るに、どうやらここは客間かリビングだったようだ。そちらに近づいてみる。とても柔らかそうなソファだ。もっとも、黴が生えまくっているのでここで体を休める気にはなれないが。

 周りを見渡していると、何やら異様なものが目の片隅に入った気がしたので、そちらへと足を運ぶ。大きな窓のちょうど向かいにあたる壁に大きな窪みがあり、その下には白い破片が大量に散らばっている。
(本当にやったんだ!)
 一種の呆れと同時に、何とも言えない気分が込み上げてくる。本当に何とも言えない気分、としか言いようがない。本当にそういうことやる人がいるんだ、という、驚きでも憤りでも、ましてや喜びでもない、よくわからない感情。その感情の行き場を定めることができないまま、壁をぼんやりと見つめていると、あることに気付いた。
 この壁は、くぼみができている、もとい破壊されている周囲だけ明確に色が違う。もしや、と思い手で壁を触り、普通の場所と色が違うところを比べてみる。…明らかに素材が違う。よく見れば、色が違う場所だけ明らかに壁の造詣が雑だ。ちゃんとした職人が箆で塗り固めたものというよりは、素人がホームセンターで用意した素材を乱雑に塗り付けたようになっている。…あの噂は本当だったのか?まさか。
 私は壁にできた窪みに、できる限り顔を近づけてみた。

 窪みはどうやら尖ったもの―錐か何かを壁に打ち付けてできたものらしい。おそらくその尖ったものを、槌で打ち付けて壁を壊していったのだろう。部屋に強い夕日が差し込んでいるので、窪みの中も少し暗いが見える。目を凝らす。窪みの先に、穴のようなものが見える。穴のサイズは人間の人差し指一本分ぐらい。さすがに穴の中までは見えない。
 …穴?
 もし話の通りダイアモンドが埋め込まれていたとしたら、ダイヤモンドが入った箱であるとか、あるいはダイヤモンドそのもの、そういった壁に埋め込まれていたものそのものの形をした窪みができているはずだ。
 壁の中に小さな空間を作ってダイヤモンドをそこに封じていたのでは、とも考えたが、すると今度はこの穴が小さすぎることが不自然だ。ここに来た和賀井含めた不良たちは壁の中にあるダイヤモンドを取り出すことが目的だったわけだから、小さな穴が開いたらそこから更に壁を破壊し、より大きな穴…最低でも片手を突っ込めるサイズの穴を開けるはずだ。小さな穴を開けた時点で作業を放棄してしまう、というのはいくらなんでもおかしい。
 その穴により顔を近付けて中を覗いてみようとした刹那、全身から冷や汗が噴出した。生理的な何かが、この穴に顔を近付けるのを拒否している。オカルティックなものに対する恐怖とはちょっと違う。どちらかといえば、例えば「この穴の向こうに何か獰猛な獣がいるのではないか」というような、より本能的な直感からくる危機感のようなものが、私の頭の中に渦巻いていた。

 思わず壁から顔を放し、足早に向かいにある窓に近づく。窓の外にテラスのようなコンクリート造りの空間があることに初めて気付いた。そこに、雑草の生え放題となった庭に向かって付いた大量の足跡がある。それらは異様な形に歪んでいて、その足跡の主が猛烈な勢いで走りながらその場を立ち去ったことを示していた。視線をズラすと、コンクリート作りの領域の隅にハンマーと大きめの錐が擲ってあった。
(しくじったんだ…)
 何の根拠もないが、そう思った。
 私はなるべく急いで廃屋を立ち去ることにした。

 そんな出来事があったから…ということとは関係なく上京する目途が立ったので、ほどなくして私はスーパーでのバイトを辞めることになった。バイトを辞めてすぐ地元を離れてしまったので、和賀井に関する「風の噂」も聞くことがなく、あの日廃屋に行った人がどうなったのか、私は未だに知らない。
 地元に帰るたびにスーパーに寄るが、相変わらず店長は元気で、行く度に野菜をもらうので毎回恐縮している。
 廃屋は数年前に解体され、跡地は公園になった。

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この物語はフィクションです。実在の人物や団体や事件などとは一切関係ありません。